聖霊降臨の主日

 司祭になって初めての年に記憶に残る思い出があります。初聖体のために小学生に教理を教える準備をしながら、聖霊について考えていました。何故か色んな説明はできるけど、はっきり浮かばない状態でなかなか難しい時間を過ごしました。皆さんはいかがでしょうか? 聖霊について、どの様なお考えをされていますか?

 実際、聖霊について考えるとき、少し難しいのも事実です。聖霊は誰よりも私達と身近で、私達の中に生きておられるのに、私達は気付くのも、考えるのも漠然とすることがあります。例えば、神である'御父'、子である'イエス様'と呼びますが、OOである'聖霊様'と呼ぶことも少なくて、呼び名から曖昧な部分があります。また、子供さんの教理の時にも、神様は白い髭のおじいさんの姿で、イエス様は茶色い髭の若い姿かお子様の姿ですが、聖霊は? 炎や鳩、雲や光など様々な姿で表現していてはっきり表現するのに難しさを感じます。

 聖霊降臨の祝日を祝いながら聖霊がどのような方なのか、考えてみたいと思います。なぜ、このように説明に難しく、様々な姿で存在するのか? 答えは聖霊の役目が'一致'であるからです。何と何を一致させるのか? 聖霊は神様と私達人間を、また、人と人を一致に導いて下さる方です。

 私達の在り方も様々です。外見だけではなく、生き方、考え方、祈り方も人それぞれです。この様々な考えと心を一つに合わせて一緒に助け合うことができるのも聖霊のお陰です。同じ民族、同じ社会、同じ宗教、同じ共同体の中でも多くの争いや分裂を経験します。さらに自分の心の中ですら争いと分裂を経験することもあります。このような争いと分裂の時代に一致を導く聖霊の役目はとても大切なことです。

 聖霊による一致を求めるためには、心の中に存在する聖霊の声に耳を傾ける必要があります。どんな綺麗な音楽が流れても回りが騒がしいと聞こえないように、私達の心が世の中のことや欲望に集中していると、聖霊の呼び声を聞くことはできません。しかし、聖霊に耳を傾けることは風や雨一つもない穏やかな状態を目指すのではありません。隣で爆発が起きても、目の前で地震が起きても揺れることなく、一致のために自分にできる道を進める堅い心を保つことです。

 私達の生涯には神様のお恵みもたくさんありましたが、また神様の導きに付いていけない不安や誘惑、執着などもありました。だから、堅い信仰を求めながら一致のために力を注ぎましょう。そして様々な姿で私達を導いて下さる聖霊と共に一致のために共に祈りましょう。

(滋賀ブロック担当司牧者)