年間第18主日(B年)神父様説教

ヨハネ6:24−35

 新型コロナウイルス感染症の新規感染者が急増しています。私達の取り巻く環境がまた、不安と混乱に陥ろうとしているように見受けられます。目の前に展開されていく状況に左右される人間に対して、今日の福音は「本当にそれでいいのか?」と疑問を投げかけているように思います。

 5000人に食べ物を与えるという大きな奇跡の後の出来事です。人々は目に見えるパン、見える物を求めてイエスのもとにやってきますが、イエスが求めているのは、永遠のいのちという見えないものへの信頼・信仰なのです。目に見えない永遠のいのちは「みことば」であるとも言えます。みことばはイエスご自身です。

 見えない「みことば」が見える形でこの世に御父から遣わされました。それが、イエス・キリスト。今日のみことばの中でも「わたしが命のパンである」とイエスが明言しておられます。本来は見えないものである永遠のいのちですが、パンという形態をとってこの世に来られ、私達はそのパンを食べて、つまり、みことばに養われて永遠のいのちに生きる者になっていきます。

 永遠のいのちに生きる者は神の国に住む者たちです。愛が充満している神の国に生きるために、イエスはこの世に「命のパン」として来てくださいました。この世においても神の国に生きられるようにしてくださったのです。お気づきの方もおられると思います。今日の福音は「ごミサ」についてのイエスの解説といっても良いでしょう。見えない「みことば」を味わい、さらに、「命のパン」であるイエスを食べる人は、飢える事もなく、渇く事もない。みことばの祭儀と感謝の祭儀・聖体拝領を体験するミサ、このミサに与る者は、神の国の愛の中に生きる者になるのです。私達は、ミサ全体に与る事によってイエスと結ばれて生きる者になります。ミサの中で、また、コロナ禍でミサに与れないとしても、私達が周りの状況に一喜一憂することなく、一途に神の愛に生きる者に変えられていくように祈りたいと思います。

(滋賀ブロック司牧担当者)