年間第24主日(B年)

マルコ 8:27-35

 今日は、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」にとどまってみたいと思います。この言葉と「あなたは、メシアです。」というペトロの信仰宣言はマルコ福音書の前後半の繋ぎになるようなことばで、マルコ福音書はこの後からイエス様の十字架・復活へと向かっていくような内容が続いていきます。


 さて、わたしにとってイエス様は何者でしょうか?これまでマルコ福音書が語ってきた、権威ある教師、奇跡を行う者、神の民の花婿、安息日の主、医者、新しいイスラエルの創設者、畏れ、驚き、好奇心を喚起する者、あるいはメシアなのでしょうか?このイエス様は何者かという問いかけは、答えが出る問いではないでしょう。この問いかけは、信仰者として一生涯かけて問い続けていくものでしょうし、人生の歩みの中で答えが変わってくるものでもあります。これを問い続けていくことこそ信仰であり、祈りであると思います。

 また、イエス様ご自身が問いかけておられることも重要です。イエス様はこの問いを通してあなたと繋がることを希望しておられるからです。ペトロのような模範的な回答だけでなく、あなた自身の答えを特に望んでおられるでしょう。これまでのイエス様との関りがあらわになる問いであり、これからのイエス様との歩みを方向付けていく問いでもあります。

 今、教会で御ミサに与れない時だからこそ、この問いに対して祈りながら答えを探したいと思います。毎週、ご聖体をいただけない時を過ごすわたしたちだからこそ、今までとは違う答えもあると思います。それは大切な体験であり、大事な答えになると思います。結論の出ない問いだからといって、考える時間は無駄になりません。むしろこの問いを通してよりイエス様との親しい交わりに招かれます。今までの歩みの棚卸であり、この問いかけを考えることが、これまでの集大成の祈りとなる事を願っています。

(滋賀ブロック担当司祭)