年間第12主日(B年)神父様説教
マルコ4:35-41
ガリラヤ(カファルナウム)で舟の上から人々に教えておられたイエスは、向こう岸、つまり異邦のデカポリス地方へ向かわれます。マルコ福音書ではこれ以降、大きな奇跡の記述が続きます。教えだけではなく実体験として神の偉大さとイエスの持つ権威を弟子たちは目撃するのです。その手始めとして嵐を鎮めるイエスの力を私たちは知りました。自然を支配する権威をイエスはお持ちなのです。この権威は御父だけが持っておられるのではなく、イエスもお持ちです。それは、イエスが御父に頼んで嵐を鎮められたのではなく、イエスが直接、嵐に向かって「だまれ、静まれ。」とお叱りになった事から明らかです。
舟は教会を表すものですが、今、カトリック教会は聖職者による子どもへの性的虐待やコロナ禍でのミサ中止など、嵐が吹き荒れています。その時にイエスはどうして私たちを救いに来てくださらないのかと思う人もいるでしょう。今日の福音のイエスも嵐の中、艫(船尾)で眠っておれました。弟子たちは慌てふためいて、いろいろなことを行っていたでしょう。水を船外へ出したり、バランスよく人間を配置して舟を安定させようとしたり、それでも舟は転覆しそうになります。必死で働く弟子ですが、イエスは寝ておられる。とうとう、怒りがこみ上げ、イエスに詰め寄ります。「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか!」弟子たちから初めて先生と呼ばれたイエスは起き上がります。そして、嵐は鎮まりました。
イエスの持っておられる力は絶大です。この力に私たちは信頼するよう、今日の福音は勧めています。もしイエスの力を教会やあなたの心の中で感じることができないのなら、弟子たちがイエスに叫んだように、私たちもイエスに叫びたいと思います。イエスが起きてくだされば、必ず嵐を鎮めてくださるのですから、信頼をもってイエスに願いましょう。教会も私たちもイエスのお言葉がなければ神の国の平安に与れません。イエスが起きて語ってくださる場所を私たちの心の中に保っていたいと思います。
(滋賀ブロック司牧担当者)